「日本考古学協会所蔵図書寄贈問題」について(6) |
東日本大震災に関係しないことを書くのはなんとなく気が引ける感じがするのだけれど、ほかのことだって、相対的な重要度が低いだけで、継続的に考えなければいけないことは色々あるはずだ。
こちらの問題もその一つだと思う。
松井彰氏と大塚和義氏の投稿
さて、「日本考古学協会会報」No.172には、松井章氏、大塚和義氏から、この問題に関する投稿がある。
松井彰「考古学協会の図書の帰属を考える―セインズベリー寄贈に賛成した立場から―」
大塚和義「日本考古学協会蔵書の管理・活用に関する提言」
松井氏の主旨は、
(1)協会図書の活用方法として、国内よりもセインズベリーへの寄贈が望ましい
(2)なぜなら、協会図書の数倍に当たる蔵書が奈良文化財研究所では公開されている
(3)したがって、協会図書をあえて国内に留め置くことに固執する必要はない
(4)今回の理事会案否決によって、海外の日本考古学の研究拠点形成の機会を失ってしまった
大塚氏の主旨は
(1)「遺跡に関する多種多様な情報収集・情報発信」という考古学協会の使命は必ずしも果たせているとはいえない。
(2)しかし、協会図書が十分活用されてこなかったからといって、海外へ寄贈して良いという理由にはならない
(3)協会図書の活用方法として、原本の直接閲覧とデジタルデータとしての利用の2つがある。
(4)しかし、デジタルデータ化には、権利問題、費用問題、媒体やフォーマットの陳腐化などの問題がある
(5)また、パソコン画面での閲覧は煩わしいことが多く、原本の方が使いやすいと思う点が少なくない
(6)デジタルによる遺跡の記録保存は、これまで以上の充実した記録保存を可能にする
(7)しかし、遺構遺物の図面の検証には、原本に立ち返る必要があり、原本破棄は、遺跡そのものの破壊に匹敵する情報の喪失ととらえるべきと感じる
松井氏の主張は、理事会案とほぼ重なり、また、賛成派の方々の標準的な認識と思われる。
大塚氏の主張は、必ずしも理事会案を否定するものではないが、発掘調査報告書原本の保存が重要との主張は、「国内に原本を残すべき」との意思表示を感じる。
発掘調査報告書は「原本」か?
大塚氏の文章で若干気になるのは、「原本」=発掘調査報告書としている点だ。
「遺構・遺物等の図面の詳細な検証など、原本に立ち返る必要が生じるケースが必ず出てきます」としている。
述べていることは正しいのだが、この場合の「原本」とは、一次原図等のことではないのか。
手書きの実測図や測量で取得したCADのデータ、写真測量の場合の画像データや中間生成データなどではないのか。
「遺構・遺物等の図面の詳細な検証」に必要なのはこのような一次原図等であって、組版データと同等かそれ以下の情報量しかない報告書原本ではないはずである。
上記のような一次原図等こそが最も重要な原本であり、発掘調査報告書などはデジタル化していようがいまいが、二次資料でしかないと思うのだが。