奈良女子高等師範学校 |
町外の方から、大正2年発行の奈良女子高等師範学校の同窓会誌の中に厚沢部出身と思われる方が原稿を書いているので、心当たりを探して欲しい、との問い合わせ。
本文を読むと、函館から鶉山道(国道227号)経由で帰省するときの様子を描いた文章。
「稲倉石」、「小鶉」、「俄虫」などの地名が出てくる。
著者自身がこれらの地名に愛着を感じていたことが分かる文章で、町内出身の方に間違いないだろう。
町内のとある集落に多い苗字だったので、人づてに年配の方々にあたってもらったが、該当する人物は確認できなかった。
大正2年には高等師範を卒業又は在籍しているので、逆算すると明治30年代生まれだろう。
存命ならば100歳を優に超えているので、誰も知らなくても不思議ではない。
だが、厚沢部町内から、明治末から大正初期に高等師範へ進学するというのはちょっとしたニュースだ。
当然、それなり(相当)に裕福な家から出た方と思われる。
女子高等師範学校は、中学教員を養成する学校で、明治末から大正年間当時、入学資格は高等女学校卒業だった。
奈良女子高等師範学校は、現在の奈良女子大学の前身で、明治41年に設立された。
なので、この方は設立初期の学生ということになる。
遅くとも6期か7期生か。