金堀穴 |
厚沢部川にかかる俄虫橋から上流側を撮影したところ
ちょうど、鞍部になっているあたりに一本沢が入っていて、この沢を「金堀沢」と呼んでいたらしい。
情報源は行きつけの床屋さん。
もっとも、松浦武四郎の「廻浦日記」の挿図には「金堀穴」というのがみえるし、旧字名にさえ「金堀」という地名が残っているので、「金堀」という地名があることは知っていた。
けれど、地点を特定できる情報はうれしい。
接近してみるとこんな感じ。
頁岩もしくはチャートの露頭。
町内出土の石器は大半が頁岩だけれど、ここのものとは違う。
ちなみに、この露頭の上の稜線はヒバの自然林。
ヒバはなぜか急な山に生育する。
急傾斜のため伐採できずに残ったのか、生態学的な理由なのかはよく分からないようだ。
松前藩時代から「羽板内山」として留山になってきたので、200年から300年クラスのヒバが生育している。
で、本日の発見。
ここは、何度か来たことがあったはずなのに、こんなものを見落としていたとは。
人口的なものではないようだ。
すぐ近くにもう1基、同じような岩陰を見つけた。
この岩陰を指して「金堀」と呼んだものか、実際に鉱山師たちが入った沢があったのか。
鉱山師達の活動は伝承として伝わりにくく、永田富智さんの『えぞキリシタン』(講談社)でも千軒岳周辺の採金活動が伝承として残っていないことが確認されている。
金山関係では、町内にはもう1箇所気になる地点があるのだけれど、そちらはまだ自分の目で確認していない