箱館奉行所の襖絵と遺跡の復元 |
「市民が護る地域の歴史文化考古資源 モバイルとGIS片手にフィールドに出よう」という長いタイトルです。
(当日のスライドはコチラ)
お話させていただいた内容は、厚沢部町にある史跡館城跡の調査や整備を進める中で生じた問題点を整理させていただきました。
その上で、市民が積極的に文化遺産の調査に関わり考えていくことが大切、ということを主張しました。
また、調査ツールとしてのハンディGPSやスマートフォン、Open SourceのGISソフトウェアを利用した調査事例を紹介させていただきました。
箱館奉行所の襖絵
会場からの質問で、復元された箱館奉行所の襖に何も描かれず真っ白になっているのは少し疑問がある、というような意見がありました。
本来は何らかの絵が描かれていたはずで、それを真っ白に復元しては誤解を生じるのではないか、と質問者は述べておられました。
また、熊本城本丸御殿の襖絵が「推定復元」されたことを例にあげていました。
箱館奉行所の内観については、下記URLを参考に。
襖にはなにも描かれていません。
http://www.elmkanko.com/tabi_spot/img/bugyo01.jpg
一方の熊本城本丸御殿の内観は下記URLから。
豪華絢爛。
http://transit2012transit.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/E7868AE69CACE59F8EE38080E69CACE4B8B8E5BEA1E6AEBFE38080E698ADE5909BE4B98BE99693E381AEE381B5E38199E381BE-d33ba.JPG.html
「復元」についての考えかたとベニス憲章
文化遺産の復元に関する基本的な考え方はICOMOSで採択された「ベニス憲章」(記念建造物および遺跡の保全と修復のための国際憲章)です。
ただし、ベニス憲章は「保全と修復のための」と謳っていることからもわかるように、「復元」というものを想定すらしていません。
第 9 条
修復は高度に専門的な作業である。修復の目的は、記念建造物の美的価値と歴史的価値を保存し、明示することにあり、オリジナルな材料と確実な資料を尊重することに基づく。推測による修復を行ってはならない。(以下略)
推測による「修復」さえ行ってはならないと明記されているのです。
「推測が入る前に修復をやめる」これがベニス憲章の基本的な考え方です。
遺跡内の復元
ベニス憲章第9条では対象が「記念建造物」となっていることから、遺跡は少し違う扱いを受けるのかとも読み取れます。
しかし、「歴史的遺跡」の章では以下のような表現があります。
第 14 条
記念建造物の敷地については、その全体を保護した上、適切な方法で整備し公開することが確実にできるように、特に注意を払うべき対象である。そのような場所で行なわれる保全・修復の工事は、前記の各条に述べた原則が示唆するところに従わなければならない。
この条文は日本の感覚でいう「史跡整備」のイメージに近いと思いますが、「保全・修復の工事は、前記の各条に述べた原則が示唆するところに従わなければならない」として、がっちりと釘を刺されています。
実は遺跡内での復元に関しては、第15条にはもっと明確な規定があります。
第 15 条
発掘は、科学的な基準、および、ユネスコが 1956 年に採択した「考古学上の発掘に適用される国際的原則に関する勧告」に従って行わなければならない。廃墟はそのまま維持し、建築的な特色および発見された物品の恒久的保全、保護に必要な処置を講じなければならない。さらに、その記念建造物の理解を容易にし、その意味を歪めることなく明示するために、あらゆる処置を講じなければならない。しかし、復原工事はいっさい理屈抜きに排除しておくべきである。ただアナスタイローシス、すなわち、現地に残っているが、ばらばらになっている部材を組み立てることだけは許される。組立に用いた補足材料は常に見分けられるようにし、補足材料の使用は、記念建造物の保全とその形態の復旧を保証できる程度の最小限度にとどめるべきである。
「復元工事はいっさい理屈抜きに排除しておくべきである」とされています。
「理屈抜きに」というところが強固です。
もはや襖絵の有無など吹き飛んでしまうような表現となっています。
遺跡の復元と奈良文書
そのようなことから、日本で一般的に行われている史跡整備は、ベニス憲章に照らせばほとんどの場合、オーセンティシティ(authenticity-日本語訳では「真正性」)を失っていることになります。
日本の文化財保護が国際標準でみたときにおかしなことをやっているというばかりでなく、世界遺産に選定される可能性さえも奪われてしまうものです。
話を飛ばしますが、現在では1994年に採択された「奈良文書」(「オーセンティシティに関する奈良ドキュメント」)が根拠となって、一定条件下の復元の場合はオーセンティシティを失わない、ということが確認されています。
奈良文書のオーセンティシティ
以下は奈良文書の「価値とオーセンティシティ」の章
9 文化遺産をそのすべての形態や時代区分に応じて保存することは、遺産がもつ価値に根ざしている。我々がこれらの価値を理解する能力は、部分的には、それらの価値に関する情報源が、信頼できる、または真実であるとして理解できる度合いにかかっている。文化遺産の原型とその後の変遷の特徴およびその意味に関連するこれら情報源の知識と理解は、オーセンティシティのあらゆる側 を評価するために必須の基盤である。
10 このように理解され、ベニス憲章で確認されたオーセンティシティは、価値に関する本質的な評価要素として出現する。オーセンティシティに対する理解は、世界遺産条約ならびにその他の文化遺産の目録に遺産を記載する手続きと同様に、文化遺産に関するすべての学術的研究において、また保存と復原の計画において、基本的な役割を演じる。
11 文化財がもつ価値についてのすべての評価は、関係する情報源の信頼性と同様に、文化ごとに、また同じ文化の中でさえ異なる可能性がある。価値とオーセンティシティの評価の基礎を、固定された評価基準の枠内に置くことは、このように不可能である。逆に、すべての文化を尊重することは、遺産が、それが帰属する文化の文脈の中で考慮され評価しなければならないことを要求する。
12 したがって、各文化圏において、その遺産が有する固有の価値の性格と、それに関する情報源の信頼性と確実性について認識が一致することが、極めて重要かつ緊急を要する。
13 文化遺産の性格、その文化的文脈、その時間を通じての展開により、オーセンティシティの評価は非常に多様な情報源の真価と関連することになろう。その情報源の側 は、形態と意匠、材料と材質、用途と機能、伝統と技術、立地と環境、精神と感性、その他内的外的要因を含むであろう。これらの要素を用いることが、文化遺産の特定の芸術的、歴史的、社会的、学術的次元の厳密な検討を可能にする。
きわめてわかりにくい条文ですが、「文化財の価値はオーセンティシティの評価にかかっており、オーセンティシティの評価は固定された基準で行うことはできない。様々な基準があり得る」と述べています。
理路としてはこんな感じです。
(1)文化財の価値に関する評価は、価値のついての情報が「真実であると理解できる度合い」(オーセンティシティ)にかかっている。
(2)また、文化財の価値に関する評価は、文化ごとに異なる可能性がある。
(3)だから、文化財の価値とオーセンティシティの評価には文化ごとに多様性があり得る。
(4)したがって、各文化圏において文化財の価値の性格とオーセンティシティの評価に関する認識が一致していることが重要だ。
(5)オーセンティシティの評価に関する情報には形態、意匠、材質その他様々な属性を含むと認められる。
要するに、オーセンティシティの評価は文化によって異なるので、ベニス憲章で禁じられた「復元」にあたる行為であっても、一定の文化的な脈略のもとでは、形態、意匠、材質などの情報に忠実であることによってオーセンティシティを保ち得る、そういうことだと思います。
箱館奉行所の襖絵
ここで再び襖絵の問題。
学問的に不確定なことであっても、適切な検討を経て、同時代の様式を取り入れるということは「展示」の一環としてはあり得ると思います。
その一方で、今はわからなくても将来明らかになる可能性を信じて白紙にしておくという考え方もあります。
熊本城本丸御殿は前者で、箱館奉行所は後者の立場をとったのだと思います。
どちらが正しい、ということではありませんし、そもそも入手できる情報の質・量が両遺跡では違うので、同列に評価するのは難しいと思います。
いずれにしても、わが国の史跡整備は国際的な合意事項からみると、なかなか微妙なバランスで成立している、ということがご理解いただけたのではないかと思います。
参考資料:日本イコモスHP内「憲章・宣言等」
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