渡辺芳郎『近世日本国家領域境界域における物質流通の比較考古学的研究』 |
本研究は、国民国家成立前の近世日本列島で周辺地域とみなされていた領域において、どのような物質流通が見られたのかを考古資料を通じて明らかにすることを目的としています。
特にトカラ列島での近世考古資料調査の実績がなく、本研究での資料集成が今後の基礎データとして意義をもつものです。
また、考古学におけるポストコロニアリズムの視点を否応なく含むことからも、今後の研究の進展が期待されます。
近世における陶磁器の普及
報告を見る限り、トカラ列島においては北海道に比べて近世陶磁器の普及率がかなり高いように思われます。
今回報告されている資料の多くは採集資料であるため、遺構との関わりが明らかでありませんが、トカラ列島においては近世を通じて陶磁器が一定量普及していたことは確かです。
これに対して、北海道では陶磁器のまとまった出土が拠点的な遺跡に限られること、幕末期に急激に増加する特徴があります。
近世においては、南西諸島と北海道では陶磁器の受容に関して大きな違いがあったと考えられます。
地域外市場への依存と経済的な内国化
興味深いのは、南西諸島では「三島・十島では独自の市場を形成することはなく、鹿児島や奄美大島、あるいは沖縄などの市場に依存する形で物資が流通していた」(p.136)と結論されていることです。
研究分担者の関根達人氏は近世蝦夷地の経済について「日本製品(和産物物)の大量流入によるアイヌ社会の経済的自立性の喪失(=日本国内経済圏の北方への拡大)が生じていたと考えられる」として、「日本国内経済圏へ取り込まれることで、アイヌの人々の生業は、和人の求めに応じて、次第に特定の狩猟・漁労に専業化し、和人との交易を前提とした社会へと変容していった」と述べています(p.117)。
地域外の市場への依存と、異文化経済圏への取り込みは同一の現象とは言えませんが、よく似た状況が近世日本列島の南と北で生じていたことは注目されます。
その一方で、アイヌ文化の文化的なアイデンティティは近世を通じて維持され、むしろ民族的な差異を際立たせる形で近代を迎えます。
「経済的な内国化」あるいは地域外市場への依存と文化的な自立性は、別の次元で進行する現象であるのは間違いがありません。
アイヌの文化的自立性が損なわれていくのは、近代に入ってからのことであり、そこには中央の政策が大きく関与しています。
今後の課題として、北海道(あるいは日本列島周辺領域)において、近代に入ることで、在地の文化がどのように変容していくのか、文化変容と近代化との関わりを考古学的に明らかにすることが必要です。
近代的な中央集権国家成立プロセスと周辺領域との関わりを物質資料から読み解くためにも、その前段階として近世を位置づける視点は重要です。
その点で,「内国化」のプロセスとして北海道島における近世考古学((あるいはアイヌ考古学)の位置づけを明確にした関根達人氏の功績は大きいといえます。