早池峰系合石神楽厚沢部公演開催のいきさつ |
2013年6月15日(土)に厚沢部町町民交流センターで岩手県花巻市に伝わる合石(あわせいし)神楽の公演が行われる。
合石神楽は、世界無形文化遺産に登録されている早池峰(はやちね)神楽の系統を汲む神楽である。
このたび、合石の方々の情熱と花巻市大迫総合支所の担当者の方の尽力により神楽公演を実現することができた。
「なぜ、北海道の厚沢部町で岩手県の神楽公演?」と思われる方がいると思うので、これまでのいきさつをまとめておきたい。
神楽文書・道具類の発見
厚沢部町の城丘集落に早池峰系の合石神楽文書や道具類が伝わっていたことが世間に知られることとなったきっかけは、1990年に行われた北海道立文書館の私文書調査だった。
この調査に関わったのが、当時厚沢部町教育委員会で社会教育係長をしていた近藤良信氏だった。
近藤氏自身も北海道に渡った合石神楽伝承者の子孫である。
近藤氏は資料を確認すると大迫町(現花巻市)教育委員会学芸員の中村良幸氏に連絡を取った。
この経過を中村良幸氏の報文から引用する。
平成二年も残すところわずかとなった十一月のある日、北海道から神楽についての問い合わせ、という電話を受けた。
「アッサブ町教育委員会の近藤と申しますが、大迫町の外川目村というところでは、現在も神楽が伝承されているんでしょうか」
また神楽の公演依頼であろうか、北海道のアッサブとはどのあたりだろう、と思いながら話を聞く。
「実は、北海道立文書館が道内の個人所有の古文書を調査してまして、うちの町でも調べていたのですが、稗貫郡外川目村の地名のある神楽の古文書が見つかりましたので・・・」
(中村良幸1991「北海道へ渡った神楽文書-その発見の経緯と内容-」『早池峰文化』第4号)
発見当初の経緯がリアルに描写されている。
同年12月に近藤氏から中村氏へ宛てて『神楽聲聞記』のコピーと獅子頭や面の写真が送られてきた。
中村氏の調査によりは神楽関係資料は、岩手県大迫町旧外川目村の合石や栃沢出身の人たちが北海道へ移住した際に持ち出したものであり、「合石神楽」のものであることが判明した。
また、中村氏は神楽資料の所蔵者である故佐藤春蔵氏への電話取材などを行い、合石神楽が北海道へ渡った経緯や資料が厚沢部町で所蔵されるようになった経緯などを明らかにしている(中村前掲書)。
門屋光昭氏の研究
北海道に渡った合石神楽の総合的な研究は、門屋光昭氏(1992「北海道に移住した芸能集団の消長-早池峰系合石神楽の場合-」『北海道を探る』第二十四号)によって行われた。
門屋の研究は、厚沢部町で発見された
(1)神楽本『神楽聲聞記』1冊
(2)神楽講社札7枚
(3)神楽面15点
(4)獅子頭1点
について順に調査を行い、これらの資料の詳細を明らかにしている。
特に、神楽講社札について詳細に解説を加えている。
この神楽講社札の性格が明らかにされたことにより、北海道移住に際してなぜ神楽が持ち込まれたのか、どのような意図を持って神楽をともない移住したのか、ということを考える上で重要な手がかりとなっている。
合石神楽の神楽講社札(左下)
門屋論文の後段は、北海道に移住した神楽集団の子孫からの聞き取り、戸籍等の調査から
(1)どのような関係の人びとが神楽の担い手となったのか
(2)いつ頃北海道に渡ったのか
(3)具体的な神楽公演がいつ頃まで行われたのか
について明らかにされている。
北海道開拓記念館による企画展示
1997年に行われた北海道教育委員会の「緊急民俗芸能調査」(北海道教育庁1998)では、北海道内に伝わる伝統芸能の悉皆調査が行われた。
こうした調査の成果を受け、北海道開拓記念館による第59回特別展『北海道の民俗芸能 舞う・囃す・競う』が開催された(2004年の8月27日~11月3日)。
この企画展示に際して、厚沢部町字城丘故佐藤春蔵氏所蔵の合石神楽道具一式が展示された。
本企画展示の指揮を執った開拓記念館学芸員舟山直治氏は、以前から厚沢部町内での民俗調査を行っており、冒頭で紹介した近藤良信氏とも旧知の間柄であった。
近藤氏の仲介を得て行った神楽資料の事前調査には私も同行させていただいた。
私自身はこの時から合石神楽と関わりを持つようになり、神楽関係者への聞き取り調査や家系図作成の協力などを行っている。
北海道開拓記念館への資料寄贈と神楽展示
2012年10月25日、北海道開拓記念館舟山直治氏から私にあてて電話連絡があった。
連絡の要点は以下のとおりである。
・厚沢部町在住の近藤良信氏を通して合石神楽道具一式の寄贈の申し出があった。
・この資料については、厚沢部町の貴重な資料であることから、あらかじめ教育委員会と協議の上、受納したい
厚沢部町教育委員会では、「資料が厚沢部町を離れることは残念だが、保管環境の整った北海道開拓記念館で所蔵することが望ましいと考える。また、寄贈される前に、郷土資料館において展示を行いたい」旨舟山氏へ回答した。
同時に、当時、厚沢部町役場建設水道課長であった近藤良信氏を通して、所有者へ厚沢部町郷土資料館での展示の内諾を得ることとした。
関係者の好意により、2012年11月23日~12月2日の期間で厚沢部町郷土資料館内にて『海を渡った南部神楽展』を開催することができた。
なお、「南部神楽」という呼称が不適切であったことは、後日、岩手県花巻市教育委員会の中村良幸氏の指摘があった。
(厚沢部文化財日誌 海を渡った南部神楽~早池峰神楽はなぜ北海道へ渡ったのか~)
展示終了後の12月3日に厚沢部町郷土資料館内で、関係者の立ち会いの下、開拓記念館舟山直治氏、池田貴夫氏らが来町し、資料の受納が行われた。
合石神楽厚沢部公演の話が舞い込む
神楽資料の寄贈から1ヶ月を経た2013年1月16日、近藤良信氏から岩手県花巻市大迫町の合石神楽保存会の方々が厚沢部町での公演を希望している、との情報提供があった。
すぐに、岩手県花巻市教育委員会中村良幸氏へ電話連絡をし、詳細を確認した。
中村氏によると
(1)平成11年頃に厚沢部町在住の神楽関係者らが大迫町(現花巻市大迫町)を訪れたことがあり、その際に、厚沢部町での神楽公演を約束したとのことである。
(2)その約束が果たされていないことを合石の方々が気にしており、厚沢部での公演を企画したいとの申し出があった。
とのことであった。
突然の話で驚いたが、費用等の負担もなく、厚沢部町と関係の深い貴重な伝統芸能の公演機会が図らずも訪れたということで、厚沢部町教育委員会としても公演に向けたお手伝いをしていくこととなった。
また、関係者による実行委員会が設立され、5月31日現在、受け入れ準備が進められている。
博物館と人のつながり
今回の神楽公演は、厚沢部町に伝わった神楽資料の博物館への寄贈と企画展示がきっかけであったことが印象的である。
私自身は、限られた選択肢の中で作業を行ったという認識しかなかった。
しかし、結果として、合石神楽の厚沢部公演が実現することとなり、100年以上前に故郷と新天地に分かれた人びとの子孫が再会するきっかけをつくることとなった。
厚沢部町内での受け入れ体制も、近藤良信氏を中心に実行委員会が設立され、多くの関係者を巻き込ん進められている。
思えば、資料の発見経緯においても旧大迫町の中村良幸学芸員が大きな役割を担っていたし、中村氏と当時社会教育係長だった近藤氏のつながりが合石神楽公演の実現を円滑なものにしたことは間違いない。
博物館の資料収集と調査、展示を通じてこのような人と人とのつながりが生まれたことに小さな感激を覚える。
物言わぬ資料をもって、人と人とが結びつく原動力としていくことが博物館・学芸員に課せられた役割なのだと、改めて実感している。