簑島栄紀「続縄文文化とは」『Arctic Circle』No.84 |
続縄文文化の歴史的意義について、これまでの研究を詳細に紹介しながら再評価されている。
私自身は、在地の土器文化(続縄文式土器文化)が外来の土師器文化の影響を受けて擦文化(土師器化)していくプロセスに興味があるせいなのか、「続縄文文化は縄文文化以来の伝統的な土器文化」という程度にしか認識していないのだけれど、簑島さんの評価は違う。
簑島さんは、
「続縄文文化を縄文文化の単なる遺制とか残存としてとらえるのは正しくない」
とし、
「北海道の環境・生態系および各方面との交流を背景としつつ新しい時代に適応して生まれた「新文化」としての側面を十分に評価すべき」
と述べる。
たとえば鉄器の使用、副葬品のあり方が示す複雑化・階層化した社会構造の可能性などが続縄文文化の特質として強調されている。
さらに、続縄文文化後半期になると、交易を念頭に置いたサケ類生産への専従化と社会分業への萌芽が見られるとしている。
続状文文化期に萌芽がみられた社会分業や交易を基盤に置いた社会への移行は、
「北海道社会が近隣の国家的勢力との間に一定の有機的な関係を構築し、交易・交流が劇的な発展をみせるのは、むしろその後の七世紀(続縄文文化の終焉と擦文文化形成の時代)」
と簑島さんも指摘するように、擦文文化期に顕著な出来事なのかもしれないが、その萌芽が続縄文文化期にあったことをきちんと評価していくべきなのだろう。
続縄文文化の歴史的な位置づけというのは、劇的な文化変容を示す擦文文化や中世アイヌ文化などと比べると今ひとつわかりにくさがある。
簑島さんが整理したように、擦文文化成立の前史、アイヌ史の一端として理解し、その意義を再構築していく試みが必要なのだろう。