史跡ユクエピラチャシ跡 |
北海道内にチャシ跡は数百カ所あるといわれているが(北海道教育委員会包蔵地調査カード搭載のチャシは510カ所)、そのうち学術的な発掘調査が行われ、さらに整備がなされたものは少ない。
ほとんどのチャシ跡は草刈りさえされず、草に埋もれている。
そんな中、陸別町のユクエピラチャシはきれいに整備された数少ない貴重なチャシである。
高くないチャシの知名度
近年整備されたこともあって、地元での知名度は高いのかと思っていたが、道の駅でチャシの場所を聞いたところ、ユクエピラチャシの名前さえどうやら認知されていない様子。
開拓功労者の関寛斎の石碑がある場所、として認知されているようだ。
西側を意識した立地
チャシ跡は利別川右岸(東側)の段丘崖上に位置している。
チャシの壕は西側に掘られており、陸別市街地は段丘崖下に見下ろす位置関係となる。
立地だけ見ると、尾根線沿いに北側から侵入してきた敵に対して圧力をかけているようにみえる。

西側はチャシに向かって緩やかな傾斜となっており、チャシ全体を見下ろす地点に視点場が設けられている。
ここから、チャシの全景がよくわかる。

視点場には解説板が設置されている。

もう少しボリュームのある説明でもよいかもしれない。
郭の構造や、アイヌ文化全体に対する説明が欲しいところ。
壕の深さは約3m


チャシの東側は地すべりのため、チャシ郭内の面積は当時より狭くなっているとのこと。
東側の段丘崖はものすごい急傾斜で、ここからまっすぐに陸別市街地側に降りていくことは不可能。
白いチャシ

通常は、壕の堀上げ土は壕の内側に盛り土して土塁を作ったり、郭内のグラウンドレベルをかさ上げするのに用いられるが、ここではあえて郭外に廃土している。
白い火山灰が最上面に盛り土されていることから、築造直後はチャシ前面が真っ白く見えたことだろう。
チャシの築造主体の権威を高め、外的に対しては威圧感を高めたものだろう。
整備では、「白いチャシ」が復元されている。
ご無沙汰していました。
ユクエピラチャシは、私が関わっている館城よりも先に整備に着して完了した史跡なので、いつも参考にしています。
館城整備ではデジタルデバイスを活用して、訂正の効く、わかりやすいコンテンツを整備したいと考えています。
よろしくお願いいたします。