加藤陽子『それでも日本人は戦争を選んだ』 |
栄光学園高等学校、中学校の歴史研究部のメンバーに向けた講義を活字化したもの。
中高生向けなので分かりやすい、とはいえ、講義相手の中高生の知識が半端ではなく、並の大学の教養部の学生相手では実現できない深い内容となっている。
日清戦争から太平洋戦争敗戦前までの「戦争」を取り出し、「時々の戦争は、国際関係、地域秩序、当該国家や社会に対していかなる影響を及ぼしたのか、また時々の戦争の前と後でいかなる変化が起きたのか」を解説する。
近代の本国家の植民地政策の最大の特徴は、スタンフォード大学のマーク・ピーティによると以下のようになるという。
「近代植民地帝国の中で、これほどはっきりと戦略的な思考に導かれ、また当局者の間にこれほど慎重な考察と広範な見解の一致が見られた国はない」
「日本の植民地はすべて、その獲得が日本の戦略的利益に合致するという最高レベルでの慎重な決定に基づいて領有された」
えらく褒められているような気がするのだが・・・
加藤によると、ピーティのいう「戦略的思考」や「戦略的利益」とは、「安全保障上の利益」を最大限に考慮して植民地獲得・支配を進めたことなのだという。
「市場拡大」や「国内過剰人口のはけ口」を植民地に求めた欧米との最大の違いがここにある。
日露戦争前夜、日本は安全保障上の重要ポイントとして朝鮮半島を捉え、韓国の中立化、ロシアの影響力の排除を目論みロシア側と交渉を重ねてきたが、上記の植民地獲得動機の認識の違いから、ロシア側は日本の真意を満州への影響力拡大と見なし、朝鮮半島を中立化したいという日本の意図を見逃していたという。
日本側は、ロシアが朝鮮半島で譲歩するのではないかとの大きな期待を持っており、首相桂太郎は開戦2ヶ月前にロシアとの開戦の承諾を求めた書簡をわざわざ元老山県有朋らに送るなど、開戦には非常に慎重な態度を取っていたことが知られている。
なお、桂の書簡に対する山形の返信は「戦争開始の論は老生は承知いたさず」であり、外交交渉に期待した日本政府上層部の意図がよく分かる。
このように、日本の植民地獲得政策は、国家安全保障上利益が至上命題となっていたのだが、それはとりもなおさず、「軍事的理由」によって植民地獲得が推進されるということでもあった。
マーク・ピーティのいう日本の植民地政策の特殊性は、欧米諸国とは植民地獲得動機が異なることを意味したが、植民地獲得という極めて外交的な案件を進めるためには、当然、当時の国際常識に沿って外交を展開しなければならなかった。
そのため、日本の植民地獲得政策は本音と建て前とに微妙な齟齬が生じることとなる。
先に見た、日露戦争におけるロシア側の日本の意図の読み違いも、日本の植民地獲得政策の特殊性によるものだと加藤はいう。
国家安全保障上の利益を至上命題とする日本の植民地獲得政策は、その後軍人によって引き継がれる。
結果として、本音と建て前のずれはさらに拡大する。
満州事変に始まる日本の中国侵略は、石原莞爾らによって計画されたが、石原は次のように述べている。
「日本内地より一厘も金を出させないという方針の下に戦争せざるべからず」
「全支那を根拠として遺憾なくこれを利用せば、二十年でも三十年でも戦争を継続することを得」
ここでも、軍事的理由=戦争遂行に必要なツールとして植民地が位置づけられ、植民地獲得政策の推進が叫ばれる。
その一方で国民向けには松岡洋右の「満蒙は日本の生命線」のような経済的な国益を前面に押し出したスローガンが唱えられ、日本の植民地獲得政策の本音と建て前の乖離が進展するのである。
日本の植民地政策の特異性=軍事戦略=国防のためにする植民地獲得というあたりは、例えば日中戦争、太平洋戦争をして「自衛戦争」などと主張される潜在的・感覚的な根拠になっているようにも思うのだが。
日本の植民地政策の特異性は、戦後日本人の「大東亜戦争観」とも、大きく影響を与えていると感じた。