ハウカセの大きな石 |
16世紀後半に石狩川流域に勢力を張っていたアイヌ民族の大将を主人公にした歴史小説。
著者本人がモデルと思われる中小企業経営者がもう一方の主人公として登場し、彼の調査紀行とハウカセの物語が交互に語られる。
ネオリベ政府の経済政策に翻弄される地場企業の悲哀も盛り込まれていて、北海道人のナショナリズムをくすぐる。
ハウカセという人物を知っている人はある程度北海道史を勉強した人だろう。
概説書に登場する名前ではない。
アイヌ民族のヒーロー、シャクシャインと同時代人である。
非常に魅力的な人物なので、誰かが小説にしないかな、と思っていた。
ハウカセという人物が歴史に名前を残しているのは『津軽一統誌 巻十』によるところが大きい。
『津軽一統誌 巻十』は、寛文10年のシャクシャインの戦いの翌年、津軽藩が蝦夷地に密偵を送り込む。
その記録である。
『北海道史 巻七』に収録されているので誰でも読むことができる。
『津軽一統誌 巻十』は臨場感に満ちた蝦夷地の現地リポートだ。
北方近世史の研究者として名高い海保嶺夫は初めて読んだ史料としてこれを挙げており、「その後の北方史研究の原点」と述べている(海保嶺夫1996「北方史研究私論」『エゾの歴史』講談社)。
著者も『津軽一統誌 巻十』に魅せられた一人だ。
「活劇を読むような面白さ」というが、まさに同感だ。
寛文9(1669)年6月、静内のシャクシャインを大将とする「蝦夷」が各地で鷹匠や商人を殺害する事件が起こった。
有名な「シャクシャインの戦い」である。
この事件は同年9月に松前八左衛門らがシャクシャインらを謀殺し、決着した。
事件に際して、津軽、秋田、南部の三藩には幕府から援兵派遣の命令が下され、松前地に三藩の軍勢が駐屯することとなる。
しかし、、松前は戦力的余裕が乏しいにも関わらず、三藩の蝦夷地奥地への出陣を拒み、自藩のみで解決する道を選んだ。
津軽藩は蝦夷地の内情を調査するため、翌寛文10年、東蝦夷地と西蝦夷地に2隊の偵察隊を派遣した。
東蝦夷地へ向かった一隊は浦河付近で「蝦夷」と接触し、戦闘になりかけたため撤退している。
西蝦夷地へ向かった津軽藩士牧只右衛門は「オショロ」(現小樽市)付近を拠点に情報収集を行い、無事、津軽へ帰還している。
ただし、牧は直接ハウカセとは面会していない。
このことも小説では重要なファクターとして描かれる。
『津軽一統誌』にみるハウカセの言動は、牧がオショロで余市「夷」から聞き取った情報である。
シャクシャインに連座して処刑されることを恐れた余市「夷」が、松前へ「つくなひ」(償い)を出そうとハウカセに相談した際に、ハウカセは以下のように返答したという。
(以下は私の意訳)
我々は去年商船一艘も殺していない。
何の悪事もしていない。
我らの持ち分のうち、増毛にて一艘殺したため、増毛の者は償いを出すだろうが、我らは出しはしない。
さりながら、近辺の夷仲間から償いを出す事になれば、皆並のことであるから、償いを出し申すが、余市、古平へ出向き、松前家来へ対面する事はならない。
去年のシャクシャインのようにだまし殺されてはどうなろうか。
非常に正論であるし、理性的な思考の持ち主と思える。
さらに、余市の「夷」の大将がいうには、前年松前家がハウカセとの通商を取りやめると通告した際にハウカセは以下のように述べたという。
松前殿は松前の殿、我らは石狩の大将であるから、松前殿のすることに干渉する理由はない。
同じ理屈で、松前殿もこちらへ干渉する事はならない。
商船をこちらへ御寄越しになられるも、なられないも、特に構わないのである。
昔から蝦夷は米、酒を飲食しないのである。
鹿ばかりを食べ、鹿の 皮を身につけ、生きている者である。
商船をお寄越しになられる事も無用の事である。
そのように言われる以上、今後商船をお寄越しなるならば、一人も通さないつもりだ。
松前家の脅し(と思われる)に対して、「最後通牒として受け取った」というメッセージを即座に返して、戦闘も辞さない強い態度で臨んでいる。
見事な外交応答だ。
また、固有の勢力圏と統治権をかなり強く意識していることも読み取れる。
ハウカセの強硬な態度は強がりではないだろう。
ハウカセの勢力圏は石狩川河口付近から中流域と考えられており、戦闘になれば松前藩は厳しい消耗戦を強いられることは容易に想像できる。
事実、牧は「せつき内」(現熊石町)で松前藩士から以下のような証言を得ている。
ハウカセには鉄砲が四、五十挺あるので、川の中にて七、八百の狄共が攻め申せば、それを防ぐ事は一艘ばかりの船では思い寄らず、十に一つも帰る事はないだろう
松前藩士にもハウカセは強敵として知られ、石狩での戦闘は不利であると理解されていたことが分かる。
上述のようなハウカセの強気の言動も、当時の蝦夷地におけるパワーバランスの常識を踏まえた上でのものだったのだろう。