「北海道・地質・古生物」のボレアロプーさんの問いへの応答(2) |
>「弥生」は「縄文」と違い,土器の形式ではありません.単に「弥生」という地名のとこから出た土器というのが元々の意味ですから,「弥生式土器」というのは存在しないのです.
これは間違いだと思います。
「「弥生」という地名のとこから出た土器」は正しいが、弥生土器は「縄文式土器とはちがったものであるという認識をみちびく基準資料」(小林行雄他1959『図解考古学事典』東京創元社)とされており、「型式学的」認識によって設定された、れっきとした土器型式(様式)名称です。
ところが、
>弥生土器は土器の形式ではなく,弥生文化に伴う土器のこと
というのは、あながち誤りではないようです。
なぜなら、「わが国で最古の水田遺構や農具がみつかったことにより、弥生時代の開始期がこれまで縄文晩期中ごろと考えてきた山ノ寺式土器の段階にまでさかのぼることになり、必然的に弥生土器の初源も夜臼式土器を超えて二形式古くさかのぼった」(工楽善通1978「弥生土器の様式と編年」『日本考古学を学ぶ(1)』有斐閣選書)とされており、このような表現が許される以上、「弥生土器は土器の形式ではなく,弥生文化に伴う土器」という表現は当然成り立ちます。
しかし、そうなると「「弥生」は「縄文」と違い,土器の形式ではありません」も、間違いではなくなってしまいます。
はて・・・?
弥生研究者に概念整理をしていただきたいところ。
>「縄文-弥生」は時間軸の上下関係にあるだけでなく,(もちろん,「縄文」と「弥生」が同時に存在する時間もある上で)縄文は東日本,弥生は西日本という地域的な関係にもあるわけです
前にも述べたとおり、考古学における「文化」は、「一定の時間・空間幅のうちに考古学的に確認できる一群の遺構・遺物群」なので、時間的に完全に分離し、地域的に完全に一致する、という状況を想定する方が無理があります。
混乱の原因は、そのような性質をもつ縄文文化(時代)や弥生文化(時代)を現在の日本国家領域に完全に重なるかのように描く歴史観でしょう。
それが、ナショナリズムの形成にどのように関わってくるのか、または、逆にナショナリズムがどのような歴史観を形成するのかは興味深いところです。
以下、脱植民地主義を学ぶための参考文献
いずれも小熊英二さん
大部の書籍なので読むのが大変ですが、これは参考になりました。
〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性
小熊 英二 / / 新曜社
スコア選択:
こちらの方が「歴史観の形成」と直結する内容かもしれません。
単一民族神話の起源―「日本人」の自画像の系譜
小熊 英二 / / 新曜社
スコア選択:
国家領域とアイデンティティの問題
「日本人」の境界―沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配から復帰運動まで
小熊 英二 / / 新曜社
スコア選択: