上ノ国八幡宮本殿が北海道最古の木造建築 |
北海道新聞によると道内最古の木造建築になるという。
12月22日(土)午後2時~3時から本殿の特別公開。
以下の写真と記事は、その時のもの。
八幡宮遠景
左隣に国指定文化財の「旧笹浪家住宅」、右隣に同じく国指定の「上国寺本堂」、背後に国指定史跡「勝山館跡」があり、国指定銀座の1等地に立地。
八幡宮近景
もともと、勝山館背後の最高所の平坦面に立地していたが、明治九年に現在位置へ。
『福山秘府』によると文明五年(1473)の創立。
勝山館跡の発掘調査によっても建物跡が確認されており、勝山館跡造営の上限年代を定める根拠の一つとなっている。
そもそも、本殿築造(正確には造替え)年代の通説であった明和八年(1771)の根拠は?
通説の根拠は、昭和37年刊行の『続上ノ国村史』の中で、「八幡宮本殿の殿内床板に左の裏書がある」とされた「床板」に「干時明和七庚寅年六月吉辰日」の墨書があるとされたことによる。
ところが、今年拝殿及び覆屋の一部を改築した際に、梁に刻まれた文様の様式が、通説の年代と合わないことが確認された。
さらに、上記の「床板」が、実は床板ではなく、ご神体を置いたと思われる檀に、上板として「載せられて」いただけであることが判明し、通説を覆す決定的な証拠となった。(正確には、通説の年代が絶対ではないことを示す証拠)
とすると、本殿の真の造営年代はいつになるのか。
実は、これはかなり明快で、『福山秘府 諸社年譜並境内堂社部』の上国館神八幡宮の条に「元禄十二卯年造替」とある。
通説の典拠となっていた『続上ノ国村史』にも引用されており、すでに知られていた。
これまでは、「床板」に「明和七庚寅年」と書かれていたと考えられていたため、元禄造営説が成り立たないと考えられていたのである。
「床板」が床板ではなく、後から設置可能な上板と判明したことから、板の墨書年代にこだわる必要がなくなり、型式論的な年代観が見直され、さらにそれに合致する文献史的な年代観がすでに知られていたため、元禄十二年が八幡宮本殿の造替え年代として考えられるようになったわけである。
ちなみに、これまでの道内最古の木造建築は、同じく上ノ国町(というか八幡宮の隣)の上国寺本堂といわれている。
くだんの「床板」あらため、上板。
これまで、本殿建築の寄附をした人々の名前が連ねられていると考えられていたが、覆屋の修築に伴う寄附とその連署であると考えられるようになった。
通説の年代観より古いと考えられる根拠となった梁の文様。
人だかりのため、本殿全景は撮影できず。