大千軒岳砂金と隠れキリシタン調査記録 その3 |
推定「金山番所」跡
永田富智先生が「金山番所」と名づけた箇所まで到達しました。
松前藩のキリシタン弾圧で亡くなった方を悼んで毎年ミサが行われているところです。
河床から40mほど高いところに平坦面があり、そこに自然石を利用した台座と十字架があります。
最初は、どうしてここが「番所」と呼ばれることになったのかよくわからなかったのですが、平坦面の東側(進入側)に高さ1mくらいの石垣が構築されていました。
「金山番所」に到達するにはこの石垣の前を通過することになります。
そのような構造になっています。
そうした一種の「威圧的」な雰囲気が永田先生が「番所」と表現した理由でしょう。
言うまでもなくこの場所が「番所」であった証拠は見つかっていません。
北東隅はしっかりと角が形成されています。
1枚だけ作図した
ここに到達するまで図化したい遺構がたくさんあったのですが、全て諦めました。
金山番所周辺は開けていて短時間で作図できました。
石垣の立面図も作りたかったのですが、下山時刻が迫っていて平面図だけにしました。
帰り道も難所続き
帰り道も川の中のルートを選びました。
あえて難しいところを通過しています。
私はほとんど濡れていません。
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