大千軒岳砂金と隠れキリシタン調査記録 その1 |
実際には、大千軒岳のふもとにも辿りつけず、帰ってきたのですが・・・
松前町宝幢寺松前家墓所
松前城の裏(北)にある松前家の墓所に行ってきました。
ここに「キリシタンの墓ではないか」と言われている墓石があります。
昭和20年に松前町の永田富智先生が発見した「織部灯籠」とされる墓石です。
永田先生は、ここから近世初期の松前藩領におけるキリシタンの存在を読み取り、そこから大千軒岳山麓の砂金採掘跡へと調査の手を広げていきます。
宝幢寺の織部灯籠
織部灯籠については、私は素人同然なのですが、仮に松前家墓所の墓石が織部灯籠だったとしても、織部灯籠がキリシタンの墓ということではないようです。
織部灯籠に刻まれる人物像がマリア像をイメージさせるような姿をしていることなどからの連想のようです。
織部灯籠は2基あって、一つは花崗岩製、もうひとつは凝灰岩製です。
松前家墓所の墓石や家型覆屋の石材は、古いもの(7代藩主くらいまで)が凝灰岩製で、新しいものは花崗岩に変わるというのはよく知られた事実です。
灯籠の年代観ははっきりしませんが、このようなことからも、キリシタンと織部灯籠が年代的にちょっと矛盾するという気がします。
なお、13代藩主祟広までは家型の覆屋をもつ墓石なのですが、14代徳広は石碑状の墓石となっています。
どうしてなんでしょうか?
GPSで松前城探訪
松前城は整備が進んでおり、コンパクトながら見どころがたくさんあるよいお城です。
しかし、肝心の動線が致命的にわかりにくいという残念な点があります。
今回は、「野外調査地図」という地図アプリに幾何補正した「松前城線図」をインストールしてリアルタイムトラッキングしました。
自分がかつての松前城のどこにいるか、一目瞭然です。
本来は、このような装置がなくても城歩きを楽しめることが理想ですが、なかなか現実は厳しいものです。
松前町大沢川の踏査
永田先生の資料には、知内川の他、松前町大鴨津川、小鴨津川、大沢川にも砂金採掘跡がみられるとの記載がありました。
大千軒岳に登る前に大沢川も調べてみることにしました。
川の両岸の見通しがとても悪く、仮に採掘跡があったとしても見つけられるような状態ではありませんでした。
川の中の石はチャートや砂岩にまじって閃緑岩がみられます。
ビバーク地点付近の砂金採掘跡
8月2日の夜は知内川上流の奥二股沢でビバークし、翌8月3日に知内川をさかのぼりました。
前の晩から気になっていたのは、ビバーク地点のすぐ脇に、自然地形らしからぬ地形の凹凸が見られたことでした。
出発前に、ビバーク地点周辺を踏査すると、思ったとおり明らかに人為的な溝状の掘削と溝に沿って部分的な石積みが見つかりました。
子どもたちの立っているところは、登山道のように見えますが、深さ1m、底幅1mくらいの溝です。
手前に石積みがはっきりと見えます。
上の写真の石積み部分を拡大しました。
間違いなく人為的なものです。
こちらの石積みはちょっとした「石垣」と呼べそうなものです。
これらの石積みは幅1〜2m程度の溝の護岸材のように積まれているものです。
溝は等高線とほぼ直行する方向にのび、下端は知内川の斜面にむかって落ちていきます。
こうした溝と石積みがビバーク地点周辺には無数にあるようでした。
次号へ続きます。
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使用した地形図は国土地理院発行基盤地図情報数値標高データ(10mメッシュ)及び国土交通省発行国土数値情報河川データ、OpenStreetMap(©OpenStreetMap contributors)の道路データを使用しました。