日本考古学協会伊達大会参加記録(初日/10月11日) |
「何にもしない」実行委員の汚名返上のために、伊達市の市民ボランティアの方々と一緒にクローク係を努めました。
仕事の合間にのぞいた大会参加記録です。
クローク前に広がるポスターセッション会場
先住民族としてのアイヌ-北海道アイヌ協会の活動と国内外の動向-(阿部ユポ氏)
「アイヌ」を表明することには特別な勇気が必要だったし、今もその状況は変わっていない、と冒頭に述べられました。
「ウタリ協会」から「アイヌ協会」への名称変更は国際的な活動を行う上で統一的な名称を使用することを目指したものだったそうですが、「アイヌ」という名称に抵抗をもつ方々の協会脱退があったと述べていました。
歴史的に、アイヌ民族の頭越しにロシアと日本でアイヌ民族の帰属が議論され、その議論を元に国境線が決定されたこと、北海道が植民地であり、アイヌ民族が先住民族であることは戦前の政府が国会答弁等で度々表明したことなどを話されました。
明言されませんでしたが、札幌市議のツイッター発言などを意識されていると感じました。
北海道の貝塚分布とその特徴-縄文〜近代-(永谷幸人氏)
石狩低地帯では縄文時代前期のみ貝塚が形成されること。
縄文時代後期には道南に多くの貝塚が形成されること。
縄文時代晩期には貝塚がみられなくなること。
続縄文時代前期に貝塚がみられるようになるが、後期にはなくなること。
有珠善光寺では貝塚からゴミ穴へと捨て場が変わり、廃棄に対する観念の変化があったこと。
などをまとめられました。
報告の後半では、
コタン温泉遺跡(集落内の貝塚)
栄磯岩陰遺跡(キャンプ地的貝塚)
を典型例として石器組成の比較を報告されました。
その結果、「集落内の貝塚」では、すり石と石斧の出土比率が高く、貝塚の性格を考えるメルクマールになるのではないかと述べられていました。