厚沢部町の水田面積の変化 |
この展示で使用した慶応3年(1867)から2012年までの厚沢部町の水田面積の変化を示すグラフが気に入っているので紹介したいと思います。
慶応3年のデータは江差町郷土資料館所蔵の「脇家文書」によります。
その他は、町政要覧、農業統計などが主な出典となります。
注目すべきは、1969年をピークとして、水田面積が急増、激減していること。
いうまでもなく、1970年から「減反政策」が始まるためです。
変化率を調べる
次に水田面積の変化率を調べてみました。
前年との面積比の変化を示しています。
前の年のデータがない場合は直前のデータのある年から按分して変化率を算出しています。
1896年に一度ピークがあり、その後、増加率はやや減少傾向で1950年代を迎えます。
1950年代以降、増加率があがり、1967年に前年比113%でピークを迎えます。
そこから、急落に転じ、1980年には89%となります。
その後は90~110%の間を増減しながら現在に至ります。
1998年に突如80%を記録しますが、この理由はよく分かりません。
2000年代以降は、転作奨励金の減額などもあり、水田面積は下げ止まったようです。
2012年には逆に増加し、増加率は前年比114%に跳ね上がりました。
日本の農業政策
農業政策にはまったく素人ですが、厚沢部町の農業がきわめて政策的であり、人為的にコントロールされてきたことが2つのグラフからうかがうことができます。
もちろんこれは、厚沢部町の農業政策の特徴ではなく、わが国の農業政策の特徴を示しているものだと思います。
米づくりは作業量が少ないため、農家としては「作りたい作物」だときいています。
厚沢部町でも、最近は新規の水田開発が目立つようです。
最近報道されている減反政策の転換によって今後の農業がどのように変わっていくのか、素人なりに注目していきたいと感じました。