須賀ほか2012『草地と日本人〜日本列島草原1万年の旅〜』築地書館 |
約2万年前の最終氷の日本列島では草本植生が優先する草地が広い面積で形成されていた。
約1万年前から温暖化が進行し、自然状態では森林が優先する気候条件となった。
ところが、縄文時代の人間活動の結果、草地は一定面積維持されてきたという。
弥生時代に入って水田稲作が開始されると、自然への人為的な圧力は縄文時代より強くなったと推測され、半自然的な草地の面積は拡大したと推測される。
このようにして、人為の影響で日本列島では草地が維持されて、20世紀初頭には国土の13%にのぼったという。
しかし、茅場の放棄や敷き刈用の柴刈りの放棄、圃場整備による畦の面積減少、耕作放棄地の増加によって、草地は減少し、森林へと遷移したという。
私たちの先祖が目にしてきた日本列島の自然景観は、実は草地を核としてきたものであったという。
そのような自然景観がこの50年で大きく変化し、森林と都市のみからなる自然景観となった。
現在、草地は国土の1%まで減少しているという。
「自然」というと人為が関わらないものをついイメージする。
人為的な影響のある自然は、原生的な自然と比べて一段格が低いように考えてしまう。
しかし、日本列島の半自然的な景観は、すでに1万年におよぶ長い歴史があり、日本列島の生物多様性は、人為が作り出した草地によって保たれてきたということのようである。
森があると「自然が豊かだ」と感じるのだが、半自然的な草地と森林が組み合わされて日本列島の多様な生態系が維持されてきたということを初めて知った。
遷移の様々な段階が小さな面積に存在することが多様な生物の存在を可能にしてきたのだ。
考えてみれば、自然環境は放っておけば一定の方向へ遷移していき、同じ気候条件の地域は同じような植生になってしまうのだ。
著者の一人は、丑丸敦史は「田んぼや畦の生きものが近年減ってしまったことも畦から子どもを遠ざけた理由の一つではないか」と述べている。
中山間地域の厚沢部町でもカエルの卵を取りに車で移動して自然の沼を探しに行かなければならない。
手つかずの自然を残すのはある意味簡単だ。
立ち入り禁止区域を設定して、自然の遷移にまかせればよいのだ。
人為が関わった半自然を残すのは、持続的に自然に影響を与え続けなければならない。
そのための効果的な仕組みづくりが21世紀の環境問題の重要な課題になるのだろう。