青木豊2006「地域博物館・野外博物館としての史跡整備」 |
平成17年度から発掘調査を続けてきた史跡館城跡も、そろそろ整備を見据えて準備しなければいけない状況になってきた。
以前に入手していた本書だけれど、改めて読みなおしてみた。
具体的に史跡整備の事例を取り上げ、しかも辛口だ。
青木の史跡に対する第一義的な位置づけは、史跡は地域博物館であるべき、との視点である。
青木は、衰退する地域の振興には観光振興による交流人口増加以外に具体策はないとする。
さらに、現代の旅行は生涯学習であると断定し、旅行先で接する非日常の核となるものが史跡等であると述べる。
展示性のある遺構・史跡の選択
展示性のある遺構とは、学術的価値の高低ではなく、展示に適する遺構かどうか、ということである。
青木は、福岡県金隅山遺跡と長崎県サントドミンゴ教会跡の遺構展示を比較し、金隅山遺跡が弥生の甕棺集団墓で迫力があるのに対して、サントドミンゴ教会跡の遺構は理解しづらく、そもそも展示に向かないのだという。
青木は、展示性の低い史跡は地下保存とすればよく、すべての史跡を整備する必要はない、と言い切る。
史跡の公開度と完成度
展示は、平面より立体、縮小より実寸の方が展示効果が高まるという。
平面的表現になればなるほどその印象性と臨場感はなくなるに伴い、稚拙さのみが露わになり、情報伝達以前のものとなるという。
具体例として青木は、住居跡等の遺構埋め戻しの盛土の上面に遺構の形状をかたどった石囲いを設置する平面表示の手法や、低花木の刈り込み植栽や芝の張り込み等による遺構表現を挙げ、そのような遺構表現では、「その意図すら気付かない見学者がいる」と述べる。
大阪府和泉市の池上曽根遺跡の整備事例を挙げ、「臨場感のない復元建物と平面的で稚拙な表現では整備の意味がない」とまで述べている。
環境整備
植栽については、第一義には古環境の復元であり、それがかなわない場合には、史跡の時代に生育していたであろう妥当な樹種の植栽が必要だという。
ついで、「集客しうる樹木であるか否か」が重要な要素という。
「花を見に、木の実を採る目的であっても史跡に人々が集うことが重要」なのだという。
島根県荒神谷遺跡では、大賀ハスが広域に植栽されているが、青木は、弥生時代の遺跡だから弥生ハスを植える、という「雑駁な符号であっても何ら支障はない」と述べる。
「うちの史跡は整備には向きません」とはなかなか言えない
青木は、史跡整備は活用するために実施するものであり、学術性を追求して、集客力のない、魅力のない整備ならば実施する必要がない、と主張しているようである。
厚沢部町の館城跡の史跡整備の場合、私自身、史跡整備の実施を前提として当町に赴任している。
館城跡が史跡整備にふさわしい遺跡かどうかは、実は議論がなされていない。
(今後、整備が予定されている館城跡)
担当者として、「うちの町の史跡は整備に向きません」とはなかなか言えない。
せめて、既定路線に引きずられた結果、巨額を投じて魅力のない整備を行うことだけは避けなければならないと思う。