鈴木琢也「北海道における7〜9世紀の土器の特性と機種組成様式」『北海道開拓記念館研究紀要』第39号 |
察文文化期の開始期にあたる7〜9世紀の遺構出土の土器を対象として、器種組成の変化に着目し、察文文化開始期にどのような変化が進行したのかを明らかにしている。
時期区分は、7世紀、8世紀前半、8世紀後半〜9世紀前半の3時期。
画時期に対する鈴木の評価は以下のようになっている。
7世紀
後北C2D式土器の時期以来の器種組成様式を受け継ぐものであり、続縄文時代の土器文化の伝統あるいは食文化や生活様式が持続されていたことが指摘できる
8世紀前半
続縄文時代からつづく北海道独自のものではなく、東北地方北部の土師器文化の影響を強く受けて新たに成立した器種組成様式であり、8世紀初頭を画期に新たな土器文化あるいや食文化や生活様式が成立していた
8世紀後半〜9世紀前半
8世紀半ばを画期に土師器文化の影響を受け入れつつ新たに北海道型に変様した器種組成様式が成立する
鈴木は8世紀初頭を大きな画期ととらえ、この時期に「「続縄文文化」が終わり、所謂広義の「察文文化」あるいは「北海道型の土師器文化」がはじまるものと考えられる」としている。
従来の時代区分論では、察文文化の開始期は7世紀の北大Ⅲ式土器の時期とされてきた。
学史的な土器分類を重視する立場や北大Ⅲ式期における縄文の消失を重視する立場などから従来の時代区分が主流だったと考えられるが、その一方で、擦文文化期に新た出現する要素、すなわち、竈をもつ方形の竪穴式住居、北海道式古墳(周溝のある墓を含む)が北大Ⅲ式期には確認できないことから、北大Ⅲ式期を過渡期として理解している研究者も多かったように思う。
鈴木は、7世紀=北大Ⅲ式土器の時期からを擦文文化とする従来の時代区分論を否定する形で、明確に7世紀=北大Ⅲ式土器の時期までを続縄文文化、8世紀前半以降を擦文文化とする見解を示した。
土器の型式学的な変化だけではなく、器種組成の変化に注目して画期を抽出した結果、墓制や住居形態とも整合する時代区分が打ち出されたことから、今後の擦文文化理解の基軸となる時代区分概念の提唱といえる。
鈴木は、「土壙墓出土の土器における新たな器種組成様式の成立と、土壙墓形態の変化あるいは末期古墳成立との関係」、「竪穴住居址出土の土器における器種組成様式の変化と住居構造の関係」が「大きな課題」と指摘する。
墓制や住居形態、器種組成など文化要素全体に及ぶ変化が擦文文化開始期にどのように進行したのか、また、日本列島の文化史における擦文文化の位置づけを問い直す試みなどが今後の課題であろうが、その前提としての擦文文化観が明確にされた点で、大きな功績といえる。