知内町郷土資料館ふるさと講座『涌元古銭の謎に挑む』パート3 |
期日:2011年8月4日(木)18時30分〜
場所:知内町中央公民館
知内町涌元から一括出土した中世古銭の中に、ベトナムで鋳造された「開泰元寶」がみつかった。
「開泰元寶」は、1324〜29年の鋳造でこれまで日本国内での出土事例は確認されていないという。
なぜ、北海道からそのような珍しい古銭が出土したのか、どのようなルートで流入し、埋納されたかについて、専修大学兼任講師三宅俊彦氏を講師として解説がされた。
(左から函館高専高橋直樹先生・中村和之先生、専修大学三宅先生)
ベトナムで出土しない「開泰元寶」
三宅先生は、2006〜2010年にかけてベトナムの一括出土した古銭を調査されている。
三宅先生によると、ベトナムでの調査では40,000枚に及ぶ古銭の調査を行ったが、その中には1点も「開泰元寶」が確認されたかったという。
そもそも、ベトナムでは日本と同様、北宋銭がもっぱら流通しており、ベトナム国内ではほとんど銭が鋳造されなかったという。
このことから、三宅先生は、「開泰元寶」を含むベトナム産の古銭は、基軸通貨の発行としての鋳造ではなく、記念硬貨的な意味合いの「名目的発行」として鋳造がなされたのではないかと推測する。
サハリン島ではほとんど出土しない北宋銭
そもそも、日本国内に大量に流入した中国銭はどのような経路で流入したのだろうか。
実は、日本列島の北に位置するサハリン島では北宋銭がほとんど流通していなかったという。
この地域は、少なくとも貨幣としての北宋銭の流通圏ではなく、わずかに装飾品として加工された銭の出土が知られるのみだという。
貨幣の流通がなかったサハリン経由で中国銭がもたらされた可能性は極めて低いという。
道南の出土銭と沿海州出土銭の比較
沿海州の遺跡から出土する中国銭と道南の志海苔古銭、涌元古銭の銭種の組成を比較すると非常によく似た組成を示すという。
しかし、三宅先生によると、「崇寧通寶」という大型の銭が沿海州では圧倒的に多く、また、「大定通寶」なども北アジアでは一定割合で出土するのだが、志海苔古銭、涌元古銭ではほとんどみられないなど、いくつかの銭種の出土比率が決定的に異なっているという。
一定範囲の地域で流通する銭は鋳造順に流通地域にもたらされ、シャッフルされるような形で徐々に均一化していくのが普通のようだ。
そうすると、道南の出土銭が沿海州沿岸からもたらされた可能性は低いことになる。
国内一括出土銭と志海苔、涌元古銭の組成比較
新潟県の石白古銭は、志海苔古銭についで出土量が多い一括出土銭として知られている。
この石白古銭と志海苔古銭、涌元古銭の銭種の組成を比較すると非常によく似た組成を示すという。
沿海州の出土銭に見られるような組成の部分的な食い違いもみられず、道南の出土銭は本州を経由してもたらされた可能性が最も高いといえるという。
三宅先生の分析結果から、涌元古銭に含まれていた「開泰元寶」は、本州経由で道南にもたらされた可能性が高いことが明らかになった。
しかし、「開泰元寶」そのものの出土例が非常に少なく、その来歴ルートの解明は困難だと三宅先生は言う。
可能性として指摘されたのが、1429年に中山王によって統一された琉球王国が、東南アジアとの貿易に力を入れるようになるため、ベトナム銭が流入する条件が整っていた、という点。
また、当時海外貿易の量、質ともにもっとも大きかった中国を経由してもたらされた可能性も指摘された。
いずれにせよ、ベトナム銭が直接、本国から持ち込まれた可能性は低く、中国や琉球を経由して道南にもたらされた可能性が高いとの見方が示された。