伊藤俊夫 2010「大潟村に学ぶ〜コミュニティを創る〜」『社会教育』2010.12 |
伊藤俊夫先生は戦後日本の社会教育を造り上げてきたきた一人だ。
伊藤先生によれば、日本の社会教育は、「農村型社会教育」から「都市型社会教育」へと転換したという。
農村型社会教育は地域ぐるみで、すべての人を対象に、ひとつくり、ものづくり(産業振興)、まちづくりを総合推進する特色があった。これが、自発性尊重を前提に、単品の学習要求を支援する都市型社会教育に転換した。
まったく不勉強なので、農村型社会教育と都市型社会教育の違いすらよくわからないが、続く一文に、その違いの一部が示されている。
転換に関しては、(1)高度の専門性と多くの労力が必要な実践型活動を敬遠し、くみし易い講座型に傾斜して社会教育を学校教育化するのか、(2)個人の趣味・教養の支援なら受益者負担でよいのでは、(3)形骸化したといって人間生活の根幹である生活コミュニティを捨てる公共精神の欠如に問題はないのか、(4)ひとつくり、ものづくり、まちづくりを総合推進した先輩の知恵はもう「古い」のか(後略)
「実践型活動」、「生活コミュニティ重視」、「ひとつくり、ものづくり、まちづくりの総合推進」などが「農村型社会教育」の目指すところ、と読み取れる。
◎「農村型社会教育」と「新しい公共」
筆者の言わんとするところを勝手に解釈するならば、政府の進める「新しい公共」は、かつての「農村型社会教育 」が目指したところに回帰していくのではないか、と言いたいように思える。
平成2 2 年6 月4 日付け「新しい公共宣言」第8 回「新しい公共」円卓会議資料
「新しい公共」とは、「支え合いと活気のある社会」を作るための当事者たちの「協働の場」である。そこでは、「国民、市民団体や地域組織」、「企業やその他の事業体」、「政府」等が、一定のルールとそれぞれの役割をもって当事者として参加し、協働する。その成果は、多様な方法によって社会的に、また、市場を通じて経済的に評価されることになる。その舞台を作るためのルールと役割を協働して定めることが「新しい公共」を作る事に他ならない。
ま、読んだだけでは何のことやら、である。
なにをどうすれば、「新し公共」ができるのか、あくまでも手段である「新しい公共」がどのように機能して「支え合いと活気のある社会」をつくりあげることができるのか、これから考えなければならないことは多い。
伊藤先生は、「新しい公共」の構築に、かつての「農村型社会教育」の実践を見直すべきではないか、と提案しているように思える。
◎厚沢部町の抱える課題と「新しい公共」
厚沢部町緑町にある土橋自然観察教育林の所管が、この春、役場から教育委員会へと移された。
現在、教育委員会事務局主体で、保存管理計画策定中で、今年度、策定に伴う学習会2回、中間説明会1回を開催してきた。
先日、住民の方から、「教育委員会の所管になってから、相談もなく勝手に事業を進めてしまうのが残念だ」という主旨の意見がよせられた。
「そんなこと言われても・・・」というのが率直な気持ちなのだけれど、土橋自然観察教育林については、住民の方と相談しながら事業を進めるための受け皿がないことも事実だ。
行政が直接住民の意見を聞きながら事業を進める場合、町内会や体育協会、文化協会などの組織があって、それらが住民や関係者との窓口になる場合が多い。
そういう受け皿や窓口が、土橋自然観察教育林の場合にも必要なのかもしれない。
そのような受け皿が用意された状態が「新しい公共」というのだろうか。
受け皿的な「○○連絡協議会」みたいなものが用意されたら、それが「新しい公共」になるんだろうか。
あまり新しくはないように思えるのだけれど。
◎「新しい公共」の実践は、「農村型社会教育」の復権なのか?
「○○連絡協議会」の設立が大切なのではなく、そこで何を行うか、が重要なのだろう。
行政は、はっきり言って動きが遅い。
手続きは煩雑で、制約も多い。
個人の自由な意思が尊重されることは少ない。
そのような行政のもつ制約の狭間に、さまざまな課題があることも事実だ。
行政が関わりながら、経済活動も含めた実践的な活動を繰り広げるのが、「農村型社会教育」をとおした「新しい公共」の実践なのだろうか。
平成23年度の全道社会教育主事等研究会の研究テーマは「新しい公共」なので、そこでしっかり勉強しよう。