広井良典『コミュニティを問いなおす-つながり・利・日本社会の未来』ちくま新書 |
広井は、日本社会を「“身内”あるいは同じ集団に属する者の間では、過剰なほどの気遣いや同調性が強く支配する反面、集団の『外』にいる人間に対しては、無視か、潜在的な敵対関係が一般的となる」と指摘する。
そして、日本社会のそのような性質が、先進国中で最も「社会的孤立」が強いとの調査結果に反映しているという。
人と人がつながるためには、「普遍的な原理やルール」を必要とするが、日本社会では普遍的な原理やルールよりも、「空気」のようなあいまいな感情でつながるしかなく、そのことが、会社と家庭以外に人と人がつながる場がもてないという現象を生み出したという。
ところで、現代社会はすでに生産性が極限まで向上し、市場経済で測定できる価値はほとんど飽和しているようだ。
リーマンショックに始まる金融危機が示すように、行き所のなくなった資本はすでに暴走を始めているかにみえる。
人々の欲求や需要はすでに「手段化・効率化」から「現在充足的」でローカルな方向に向かい始めているのだ。
過剰な生産性をもつ社会では失業状態が常態化してしまう。
製造業を中心とした低賃金労働者の問題は、機械化による効率化が限界まで進行した製造現場で起こる必然的な結果だろう。
ここで社会が選択しなければならないのは、(1)賃労働の時間を減らして、(2)コミュニティや自然などに関わる活動に時間をあてることだ、と広井はいう。
すなわち、ワークシェア的な発想による失業対策と、利潤追求とは親和性の低い「現在充足的」でローカルな需要を満たすことが今後の課題となるだろう。
「定常型社会」では生産効率ではなく「環境効率」が重視される。
資源をふんだんに投入して人手を減らし、効率化を図るのではなく、人手をかけて資源を節約することが指向される。
広井は「介護・福祉・教育」などの分野は「人」がキーポイントとなる領域であり、労働生産性は低いが環境効率性の高い分野に積極的に投資を行うことが、今後、効果的だという。
福祉国家であり、教育に力を入れる北欧諸国の「国際競争力」が高いことの一因として、上記のような要因が考えられるという。
最後に広井は、「定常型社会」における人と人とがつながるための「普遍的な原理やルール」の創出が求められているとし、その内容として
(1)「有限性」と(2)「多様性」を重要な要素として持つ思想ではないか、と推測する。
「有限性」は、資源やエネルギーにおける「有限な地球」の認識と「地球というコミュニティ」の一員としての存在という意識の形成である。
これまで人類は、地球を有限な存在とはみなしてこなかった。
少なくとも、地球の有限性が社会基盤に影響を与えるということを意識にのぼらせることなく社会を設計してきたのではないか。
広井は、「地球コミュニティ」という意識の浸透と、他方で個人をベースとする公共意識が相互に補完することにより、新たな価値原理が生成する可能性に期待をする。
もうひとつの「多様性」は、成立地域の風土の影響を色濃く受けたリージョナルな思想・宗教がそれぞれ普遍性をかかげることがグローバル化によって不可能となったことを受けるものである。
成長・拡大の時代には、世界は一つの方向に向かうという発想が支配的となり、一つの方向からみた「進んでいる-遅れている」という位置づけがなされることとなる。
しかし、現在の思想・宗教がそれぞれリージョナルな特性をもちつつ、普遍性を掲げるところに無理が生じているのであり、「定常化社会」においては、各地域の地理的・空間的な多様性や固有の価値が鍵を握ることとなる。
世の中が変わっていく、という実感はあっても、その変わり様をどのように理解して良いのか今ひとつつかめていないと感じたときに一つの指針となる内容。
人間社会はどこへ向かうのか、に真摯に、深く向き合った著作と思う。